2026年10月30日(金)公開の映画『恒星の向こう側』は、中川龍太郎監督が「喪失」をこれまでとは異なる距離から見つめた作品です。
母・可那子(河瀨直美)が進行性のがんを患っていることを知り、奈良の実家へ戻った未知(福地桃子)。長年確執を抱えてきた母との残された時間に向き合う中、未知の夫で演出家の登志蔵(寛一郎)は、可那子の過去を題材に演劇を作り始めます。
過去の回想をなぜ「演劇」として描いたのか。そして、中川監督が長年恋焦がれてきた北海道・野付半島をどのようにカメラに収めたのか。詳しく話を聞きました。
「喪失しつつある」時間を描く
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
中川:これまでの作品では、喪失の当事者が主人公になっていましたが、今回は、「喪失しつつある」という、これから起きることとして描いています。そして、それを当事者ではなく見る立場にいるのが、寛一郎くんが演じる登志蔵です。彼が少し一歩距離を置いて"人の生死”というものを見つめる物語にしているところが、今までとは少し違うところかなと思っています。
中川:登志蔵の側は、カメラを据え置いて、画面もすごく引いて撮っています。それに対して、福地さん演じる未知と河瀨さん演じる可那子のシーンは、ドキュメンタリーのようにカメラを動かして、自由にお芝居してもらったものを切り取っています。刻一刻と時間がなくなっていくことに当事者として対峙している人と、それを見ている人の客観的な視点。その違いを対比的に描きました。
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
登場人物は「自分の中にある複数の自分」
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会 [写真:矢武企画]
中川:登場人物は、自分の中にある複数の自分を出して作っていった感じがします。ひとりの人間の中にも、見る角度によっていろんな自分がいると思うんです。
ある意味では自画像じゃないですけど、あらゆる角度から自分や、自分を取り巻く環境を見つめる。そんな発想で書いた気がしますね。
創作によって「近づけないもの」に近づく
中川:創作するという行為には、ある程度セラピーのような面があると思っています。自分の中にある大切な経験、傷ついた経験やうれしかった経験、忘れられないもの。それをどうにか消化したいという感情から作品にすることで、少しだけ傷を手放せることもあると思うんです。登志蔵も、未知と可那子のことを彼なりに大切に思っていたからこそ、傷ついている部分がある。そのことに、物語という形で何とか近づこうとします。つまり、これは「近づけないものとの距離をどうやって近づけるか」という物語だと思っています。自分の中にある傷や、人の中にある傷に近づこうとすることは、創作行為の大事な部分でもあると思うんですよね。
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
中川:すべての過去は、想像したものだと思うんですよね。例えば、自分の中で確かにあったと思っている出来事も、記憶によってかなり書き換えられているじゃないですか。だから、映画の中で回想を描くのは非常に危ういと思っています。そのまま描いてしまうと、かえってフィクション度が高くなってしまう気がするんですよね。実際に若い頃の可那子や万理が、ああいう顔だったのかどうかも曖昧にしたかった。演劇のオーディションのシーンから始まっているのは、そこに来ていた女優さんが、南沙良さん演じる若い頃の可那子であり、朝倉あきさん演じる若い頃の万理です。可那子の頭の中にあるものと、登志蔵が作っているフィクションの世界が混ざっている。そういう形にしたかったんですよね。
奈良と野付半島、対照的な2つの土地
中川:自分で見ることと、撮ることには結構隔たりがあります。見て感動したものを撮ったらいまいちだったり、逆に大したことないと思っていた景色が、撮ることですごく鮮やかに見えたりする。
僕は長いこと野付半島の景色に恋焦がれてきて、私的にも何度も来ています。でも「あんまり好きすぎる人とは話したくない」みたいな感じで(笑)、距離が近くなりすぎないよう、2年に1回くらいに制限しているんです。
それくらい大好きな景色なので、「好きすぎる人をどう撮ったらいいのか」という難しさがある。十分に撮り切れたのかは、今も分からないですね。
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
中川:奈良は、日本の中でも文明という意味で非常に長い歴史のある場所だと思います。
逆に、別海町の野付半島は、人間という種、生き物としての人間のふるさとのような感じがする。僕たちはこういう景色から出ていって、農耕を経て文明を作ってきた。
日本の中でも特に手つかずの場所と、日本人の歴史として非常に古い場所。その対比として奈良と野付を描きたかったんです。
人間と自然に「優劣をつけて描きたくない」
中川:上野千蔵さんとは、以前『息をひそめて』(21/Huluオリジナル)という作品も一緒に作っています。千蔵さんは、風景と人間をまったく同じ価値を持って見ることができる人なんです。画面に人が写っていれば、人間が中心になるのは普通だと思います。でも、人間も自然が生み出した自然の一部です。
だから、人間と自然に優劣をつけて描きたくないという思いは常々あります。千蔵さんはそこを非常に大事に撮ってくれるカメラマンなので、その部分はある程度できているんじゃないかなと思います。
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
野付半島だからこそ生まれた即興
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
中川:かなり即興の芝居が多い作品なので、そういう瞬間はたくさんありました。
野付半島では、朝倉さんにも福地さんにも「自由に歩いて」と伝え、カメラも長い時間回しています。その中で二人に芽生えた感情は、そのときの野付半島でしか得られなかったものだと思います。
例えば、舞台に「遠い目してんな」というセリフがありますが、福地さんが歩きながらぶつぶつと言っていたんです。それが僕の指示だったのか、彼女が自然に言い出したのか忘れてしまったんですけど(笑)、その瞬間はすごく感動しましたね。
中川:これは本当に野付半島が好きすぎなので、これで十分撮れたのかどうかは、今も自信がないんですよ。今日、2年ぶりに来ましたが、やっぱりまた新しく撮りたいという気持ちになっています。もうこれは恋愛感情ですね(笑)。
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
「生命と死のエネルギーが同じ強度でぶつかっている」
(C)YBK3 2026
中川:人間としてのふるさとのような気がしますね。生と死が混ざっているんです。死の景色、黄泉の国の景色のようにも見える。でも、本来僕らはこういうところで、生き物を食べながら生きてきたという感じもする。生命のエネルギーと死のエネルギーが、同じ強度でぶつかっている場所という感じがします。
中川:誇らしいというか、うれしいですね。野付半島には何度も来ていますが、地元の人とすごく深い付き合いがあったわけではないので。僕が大好きなこの場所で、どんな方々が暮らしているのか。その方々が、僕の作っている小さな映画を見てくださる機会も、なかなか多くはないと思います。だから、どういうふうにご覧になるのか、本当にすごく楽しみですね。
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
「ひとつの絵を見るような気持ちで」
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
中川:本当に北海道で、この瞬間しか収められない映像を撮れた作品なんです。野付半島の本当に美しい景色を見ていただきたいですし、最優秀女優賞を取った福地桃子さんと河瀨直美さんの素晴らしい表現も見ていただきたいです。これは1個の映画というか、ひとつの絵を描くように作りたかった作品です。絵を見に来るような気持ちで見ていただけたら、すごくうれしいです。
編集後記
何度も訪れたいほど好きでありながら、距離が近くなりすぎないように訪れる頻度を抑えている。それでも映画として「十分に撮り切れたのか分からない」と語る姿から、野付半島が監督にとって簡単には捉えきれない、特別な場所であることが伝わってきました。
「ひとつの絵を描くように作りたかった」という『恒星の向こう側』。物語はもちろん、監督が長年恋焦がれてきた野付半島がスクリーンにどう映し出されているのかにも、ぜひ注目してみてください。
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
『恒星の向こう側』作品概要
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
シアターキノ(11月7日~)、イオンシネマ旭川駅前(10月30日~)、イオンシネマ釧路(10月30日~)
■公開日
2026年10月30日(金)
■出演
福地桃子
河瀬直美 寛一郎 朝倉あき 南沙良
三浦貴大 久保史緒里 中尾幸世
※河瀬直美さんの「瀬」の字は正しくは右側が「刀」の下に「頁」。
■監督/脚本/編集
中川龍太郎
■音楽
haruka nakamura
■制作プロダクション
Production I.G
■配給
NAKACHIKA
■公式HP
https://nakachikapictures.com/kosei-no-mukogawa
「喪失しつつある」時間を描く
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
中川:これまでの作品では、喪失の当事者が主人公になっていましたが、今回は、「喪失しつつある」という、これから起きることとして描いています。そして、それを当事者ではなく見る立場にいるのが、寛一郎くんが演じる登志蔵です。彼が少し一歩距離を置いて"人の生死”というものを見つめる物語にしているところが、今までとは少し違うところかなと思っています。
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
中川:登志蔵の側は、カメラを据え置いて、画面もすごく引いて撮っています。それに対して、福地さん演じる未知と河瀨さん演じる可那子のシーンは、ドキュメンタリーのようにカメラを動かして、自由にお芝居してもらったものを切り取っています。刻一刻と時間がなくなっていくことに当事者として対峙している人と、それを見ている人の客観的な視点。その違いを対比的に描きました。
登場人物は「自分の中にある複数の自分」
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会 [写真:矢武企画]
中川:登場人物は、自分の中にある複数の自分を出して作っていった感じがします。ひとりの人間の中にも、見る角度によっていろんな自分がいると思うんです。
ある意味では自画像じゃないですけど、あらゆる角度から自分や、自分を取り巻く環境を見つめる。そんな発想で書いた気がしますね。
創作によって「近づけないもの」に近づく
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
中川:創作するという行為には、ある程度セラピーのような面があると思っています。自分の中にある大切な経験、傷ついた経験やうれしかった経験、忘れられないもの。それをどうにか消化したいという感情から作品にすることで、少しだけ傷を手放せることもあると思うんです。登志蔵も、未知と可那子のことを彼なりに大切に思っていたからこそ、傷ついている部分がある。そのことに、物語という形で何とか近づこうとします。つまり、これは「近づけないものとの距離をどうやって近づけるか」という物語だと思っています。自分の中にある傷や、人の中にある傷に近づこうとすることは、創作行為の大事な部分でもあると思うんですよね。
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
中川:すべての過去は、想像したものだと思うんですよね。例えば、自分の中で確かにあったと思っている出来事も、記憶によってかなり書き換えられているじゃないですか。だから、映画の中で回想を描くのは非常に危ういと思っています。そのまま描いてしまうと、かえってフィクション度が高くなってしまう気がするんですよね。実際に若い頃の可那子や万理が、ああいう顔だったのかどうかも曖昧にしたかった。演劇のオーディションのシーンから始まっているのは、そこに来ていた女優さんが、南沙良さん演じる若い頃の可那子であり、朝倉あきさん演じる若い頃の万理です。可那子の頭の中にあるものと、登志蔵が作っているフィクションの世界が混ざっている。そういう形にしたかったんですよね。
奈良と野付半島、対照的な2つの土地
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
中川:自分で見ることと、撮ることには結構隔たりがあります。見て感動したものを撮ったらいまいちだったり、逆に大したことないと思っていた景色が、撮ることですごく鮮やかに見えたりする。
僕は長いこと野付半島の景色に恋焦がれてきて、私的にも何度も来ています。でも「あんまり好きすぎる人とは話したくない」みたいな感じで(笑)、距離が近くなりすぎないよう、2年に1回くらいに制限しているんです。
それくらい大好きな景色なので、「好きすぎる人をどう撮ったらいいのか」という難しさがある。十分に撮り切れたのかは、今も分からないですね。
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
中川:奈良は、日本の中でも文明という意味で非常に長い歴史のある場所だと思います。
逆に、別海町の野付半島は、人間という種、生き物としての人間のふるさとのような感じがする。僕たちはこういう景色から出ていって、農耕を経て文明を作ってきた。
日本の中でも特に手つかずの場所と、日本人の歴史として非常に古い場所。その対比として奈良と野付を描きたかったんです。
人間と自然に「優劣をつけて描きたくない」
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
中川:上野千蔵さんとは、以前『息をひそめて』(21/Huluオリジナル)という作品も一緒に作っています。千蔵さんは、風景と人間をまったく同じ価値を持って見ることができる人なんです。画面に人が写っていれば、人間が中心になるのは普通だと思います。でも、人間も自然が生み出した自然の一部です。
だから、人間と自然に優劣をつけて描きたくないという思いは常々あります。千蔵さんはそこを非常に大事に撮ってくれるカメラマンなので、その部分はある程度できているんじゃないかなと思います。
野付半島だからこそ生まれた即興
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
中川:かなり即興の芝居が多い作品なので、そういう瞬間はたくさんありました。
野付半島では、朝倉さんにも福地さんにも「自由に歩いて」と伝え、カメラも長い時間回しています。その中で二人に芽生えた感情は、そのときの野付半島でしか得られなかったものだと思います。
例えば、舞台に「遠い目してんな」というセリフがありますが、福地さんが歩きながらぶつぶつと言っていたんです。それが僕の指示だったのか、彼女が自然に言い出したのか忘れてしまったんですけど(笑)、その瞬間はすごく感動しましたね。
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
中川:これは本当に野付半島が好きすぎなので、これで十分撮れたのかどうかは、今も自信がないんですよ。今日、2年ぶりに来ましたが、やっぱりまた新しく撮りたいという気持ちになっています。もうこれは恋愛感情ですね(笑)。
「生命と死のエネルギーが同じ強度でぶつかっている」
(C)YBK3 2026
中川:人間としてのふるさとのような気がしますね。生と死が混ざっているんです。死の景色、黄泉の国の景色のようにも見える。でも、本来僕らはこういうところで、生き物を食べながら生きてきたという感じもする。生命のエネルギーと死のエネルギーが、同じ強度でぶつかっている場所という感じがします。
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
中川:誇らしいというか、うれしいですね。野付半島には何度も来ていますが、地元の人とすごく深い付き合いがあったわけではないので。僕が大好きなこの場所で、どんな方々が暮らしているのか。その方々が、僕の作っている小さな映画を見てくださる機会も、なかなか多くはないと思います。だから、どういうふうにご覧になるのか、本当にすごく楽しみですね。
「ひとつの絵を見るような気持ちで」
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
中川:本当に北海道で、この瞬間しか収められない映像を撮れた作品なんです。野付半島の本当に美しい景色を見ていただきたいですし、最優秀女優賞を取った福地桃子さんと河瀨直美さんの素晴らしい表現も見ていただきたいです。これは1個の映画というか、ひとつの絵を描くように作りたかった作品です。絵を見に来るような気持ちで見ていただけたら、すごくうれしいです。
編集後記
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
何度も訪れたいほど好きでありながら、距離が近くなりすぎないように訪れる頻度を抑えている。それでも映画として「十分に撮り切れたのか分からない」と語る姿から、野付半島が監督にとって簡単には捉えきれない、特別な場所であることが伝わってきました。
「ひとつの絵を描くように作りたかった」という『恒星の向こう側』。物語はもちろん、監督が長年恋焦がれてきた野付半島がスクリーンにどう映し出されているのかにも、ぜひ注目してみてください。
『恒星の向こう側』作品概要
(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
シアターキノ(11月7日~)、イオンシネマ旭川駅前(10月30日~)、イオンシネマ釧路(10月30日~)
■公開日
2026年10月30日(金)
■出演
福地桃子
河瀬直美 寛一郎 朝倉あき 南沙良
三浦貴大 久保史緒里 中尾幸世
※河瀬直美さんの「瀬」の字は正しくは右側が「刀」の下に「頁」。
■監督/脚本/編集
中川龍太郎
■音楽
haruka nakamura
■制作プロダクション
Production I.G
■配給
NAKACHIKA
■公式HP
https://nakachikapictures.com/kosei-no-mukogawa
早川真澄
ライター・編集者
北海道の情報誌の編集者として勤務し映画や観光、人材など地域密着の幅広いジャンルの制作を手掛ける。現在は編集プロダクションを運営し雑誌、webなど媒体を問わず企画制作を行っています。