2026.3.31

さらば、狸小路5丁目の映画館―サツゲキと101年目のプラザを失った今、私たちが映画の未来にできること

「サツゲキ」の閉館。正直に告白すれば、このリリースに接した際の衝撃は、「悲しさ」よりも「虚しさ」や「悔しさ」だった。これは単なる一商業施設の撤退ではない。この場所で100年間積み上げてきた映画館の歴史が断絶し、文化を享受する「場=ハコ」が失われることを意味している。
札幌プラザ2・5時代からこの”場所”に対して並大抵ならぬ想いがある筆者が、この閉館を機に言葉を書き留めたい。なお、本記事ではサツゲキのみなさんと「単なるノスタルジックな記事は書かない」と約束している。映画館を失う今だからこそ、知っていただきたい現実があるからだ。サツゲキを好きでいてくれた方が、この先も映画や映画館とたくさん出会ってほしいので本文を執筆する。

(text/photo|矢武兄輔[キャプテン・ポップコーン])
 

まさか、サツゲキが失くなるなんて。


ディノスシネマズ札幌劇場閉館日(19年6月)

サツゲキは、入居する「札幌プラザ2・5」を所有する管理会社と来年度以降の契約更改を交渉したが、条件が合わず、賃貸借契約満了をもって閉館が決定した。サツゲキ側には継続の意思が十分にあっただけに、無念の決定と言える。これにより、100年以上続いた「映画館」という業態そのものが、このビルから消滅することになる。
前身のスガイディノス時代、映画館は経営母体の変革に幾度となく翻弄されてきた。2018年、当時RIZAPグループ傘下だった「ディノス札幌中央ビル」は、グループの赤字に伴う事業再構築の対象となり、売却・解体が決定。「札幌の娯楽の聖地」は一度失われた。
 
映画館・ボウリング場・ゲームセンターを運営する部門は、会社分割によって誕生した新会社「スガイディノス」として、小笠原一郎さんが代表を務める道内企業投資ファンド「北海道SOキャピタル」へ売却。同社は地場資本の独立系エンターテイメント企業に戻す立役者になった。サツゲキ復活のためのクラウドファンディングが実施され、773人から約1,200万円集まった。また、全国のミニシアターを対象にした「ミニシアター・エイド基金」からは1館あたり約300万円が寄付されている。どちらも、映画館を未来に存続させるために応援した映画ファンの数だ。

千秋楽。北のエリート(キンプリファン)から劇場スタッフへサプライズ


閉館日、めが兄ぃこと横澤康彦支配人(19年6月)

2020年7月の新型コロナウィルスが猛威を振るう真っ只中「札幌の文化を発信する施設、大人の秘密基地にしたい」というコンセプトで復活。モダンな雰囲気に加え、映画館がある洗練されたカフェとして発信。「BAKERY ONE CARAT」のパンやスムージーなど、他の映画館とは一線を画した施策を追求した。しかし、2022年5月末、スガイディノスが民事再生法の適用を申請し負債総額約23億円と報道される。そして、民事再生手続き中のスガイディノスの映画事業をシネマサンシャインを全国展開する佐々木興業グループが承継する。
しかし、筆者はその流れに希望を抱いていた。全国規模かつ映画興行のプロが救世主として現れたことで、「建物が限界を迎える日まで、この場所で映画館は生き続ける」と信じていた。しかし、現実はあまりにも腑に落ちない理由で幕を閉じることになった。
一般社団法人コミュニティシネマセンターの岩崎ゆう子事務局長は「札幌は200万近い人口の都市でミニシアターが2スクリーンという現状は寂しい」と語る。今回の閉館によって「シアターキノ」(中央区南3西6)の僅か2つを残すのみとなる。全国的に映画館の増減はあれど、東北(238スクリーン/全国シェア6%分[※1])・北海道(114スクリーン/全国シェア3.1%分[※1])ブロックの少なさは特に目立つという。

シアター2へ行く通路から(26年3月)


ビル1Fにあった「やきそばじろ」。店主の厚意から映画だらけに。(22年2月)

サツゲキ閉館を嘆くのは、映画ファンだけではない。映画の作り手たちもまた、深い喪失感を抱いている。『ちょっと思い出しただけ』(22)などの松居大悟監督は、サツゲキとの縁を振り返り、その心中を明かした。松居作品は、活動初期から多くの作品で同館に支えられてきたという。またコロナ禍直前に「札幌プラザ2・5」を訪れた際、歴史を感じさせる『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』(80)など当時のポスターなどを目にし、映画に寄り添い続けてきた映画館の重みと楽しさを実感したと振り返る。「劇場で見る映画は、あの頃を思い出すこともできる。作り手にとって、映画館がなければ作品を上映することはできない」と語り、映画館が映画表現における重要な位置付けであることを再認識させてくれた。

配給会社”一瞬目の前が真っ暗になった”

映画館は人を集める磁場であり、その消滅は狸小路商店街に対して地元市民の流動をも変化させる可能性がある。そして何より、映画を観客に届けるための”映画産業の循環構造”そのものへの致命的な打撃となるのではないか?
『少女邂逅』(18)、『アルプススタンドのはしの方』(20)など、数多くの作品をディノスシネマズ札幌劇場(19年閉館)時代から配給してきたSPOTTED PRODUCTIONSの直井卓俊代表は、その役割を「非常にありがたい存在で、弊社のようなインディーズとメジャーとの中間規模の映画にとって、ちょうどしっくりくるのがサツゲキだった」と語る。2022年にスガイディノスから運営が変わり、佐々木興業グループのもとで継続するとなっていただけに、今回の決定には”一瞬目の前が真っ暗になった”という。

千秋楽、大混雑する2Fロビー


閉館。劇場運営を支えた新旧スタッフがお見送り

こうした危機は札幌に限った話ではない。東京都新宿区の「シネマカリテ」や愛知県の「刈谷日劇」など、インディーズ映画の拠点となる映画館が全国的に姿を消しつつある。時流という声もあるが、インディーズ作品やアート作品をスクリーンで鑑賞できる機会が失われていく現状は、極めて深刻だ。
サツゲキで最後に上映された作品に『結局珈琲』(26)がある。そのキャッチコピーにはこう記されている。「1人になりたくて、なりたくない私たち」、 直井さんはこの言葉がそのまま、現代における「映画館」の在り方に通じると指摘する。暗闇の中で1人でありながら、同じ空間に誰かがいる。その絶妙な距離感こそが、映画館という場所が提供してきた「居場所」の正体なのだ、と。インディーズ映画の拠点となる映画館が姿を消す現状は、新しいクリエイターの育成の場が失われることも意味する。映画人にとって、映画館で映画を観ることは、アスリートがトレーニングルームで「筋トレ」をすることと同義と言えるのではないか??
ここで直視すべきは小規模映画のリアルだ。
「ここでしか観られない映画」という言葉は、ビジネスの側面では「市場が小さく、広告宣伝費をかけられない」という不都合な真実の裏返しでもある。年間約1,100〜1,300本公開される映画のうち、北海道で公開されるのは約600本。メジャー映画以外の多くはサツゲキとシアターキノが担ってきた。サツゲキが担っていた作品は今後、市内の他館へ分散されるが、シネマコンプレックス(以後「シネコン」と表記)での上映は初動の動員が良くなければ、即座に時間帯が厳しくなり、打ち切りも早まる。映画館の運営コスト(映写機のランプ代など)は観客が3人でも200人でも変わらない。その厳しさをファンも知っておく必要がある。ちなみに慢性的に映画館が少ない地である札幌市内のシネコンは、インディーズ作品、アート作品は普段からきちんと公開してくれている。

神格化(?!)する、めが兄ぃこと横澤康彦支配人(26年3月)

具体的な「リアクション」は嬉しい


片桐はいりさん演じる”もぎりさん”のサインなど(26年3月)

目を向けるべきは、北海道の映画興行が置かれた過酷な数値だ。
広大な大地に、一般興行館は2026年8月には20館になる。観客動員数の全国シェアは2.5%[※1]に過ぎず、北海道より人口の少ない静岡県(2.9%[※1])より低く、5大都市の中では4位の福岡県(5.2%[※1])の半分である。日本の場合、文化支援の手厚いフランスなどの諸外国と異なり、民間である映画産業に対する公的サポートは”企画”ごとへの助成がほとんどで映画館の「日常の営業」にはほぼ皆無だ。娯楽や趣味なのだから「公金頼りにするな」という声も聞こえてきそうだが、新しくできる複合型商業施設へ映画館が併設されるケースも多く、強力な集客力になると言えるので決して芸術的な側面ではなく経済価値も高いのではないか??
以下は映画配給から興行までを支える施策である。
* 地元映画メディアを活用する
* 企業とのタイアップ企画にアクションを!
* 劇場でポップコーンやグッズを楽しむ
* シネアド(上映前のCM)や劇場サンプリングを邪険にしない。見えるところに捨てないで(泣)
これらはほんの一例だが限られる映画館にとって、こうした展開は貴重な収益源であり、周知の機会だ。特に映画以外の企業が映画産業を応援してくれる取り組み(シネアドやタイアップ企画)は、協力・協賛する企業担当者の「映画愛」によるものもある。反応が良くなければ「次」は難しく、担当者の立場はなくなり、、負の連鎖が始まる。なので負担にならない程度でアクションがあると嬉しいのだ!
 

北のエリートからの贈り物(26年3月)


坪井さん地下ホールのスクリーン前で(19年11月)

かつて札幌プラザ2・5時代にイベントを行った名古屋シネマスコーレの坪井篤史支配人は、「大事な仲間がまたひとつ消えてしまう。残った我々が映画館文化の灯を消さないようにしなければならない」と悲痛な決意を口にした。一度失った映画館は、二度と戻らない可能性が高い。仮に建物が壊され、歴史の連続性が絶たれた更地に、再び映画館が建つ可能性は限りなくゼロに近い。北海道の映画産業をこれ以上衰退させないための、これは最後の気づきなのかもしれない。映画にお金を出して時間を使って頂いている方々には純粋に映画鑑賞を楽しんでほしく、このようなことを伝えるのは申し訳ない。しかし、自分たちが大切にしている”ハコ”を守っていくためには、知っておいてほしい現実でもある。

ここ5丁目に映画館はずっとあった。

1918年に開業した浦河大黒座の4代目・三上雅弘さんは、今回の閉館を「寂しくなる」と惜しむ。奇しくも大黒座が始まった年は、サツゲキの超前身「札幌劇場」が芝居小屋としてスタートした年である。また、サツゲキにテナントとして札幌プラザ2・5の映画館部分を貸している株式会社谷井も同所で1925年から映画館として営業している。少し歴史を振り返るが最初は狸小路3丁目で「遊楽館」を経営していた九島興行が、洋画封切館として「三友館」を設立し、初代支配人に谷井平蔵さんが就任。札幌でいち早く発声装置(トーキー)を導入するなど先駆的な映画館だった。1938年「日活館」に、さらに九島興行から独立し、谷井一族が「日活」の看板を掲げ興行を続ける。今でいうフランチャイズ営業していくことに。

狸小路破壊!『ガメラ2/レギオン襲来』公開時(提供:中根研一)


東宝プラザ時代の“光壁”と呼ばれる箇所。レトロな雰囲気、ゲストの記念写真スポットに。(提供:札幌映画サークル企画班)

1975年、東宝系列の洋画ロードショー館「札幌東宝プラザ」としてリニューアル。1981年には「東宝プラザ(2F)」「プラザ2(B1)」の2スクリーン体制となり、『もののけ姫』(97)、『踊る大捜査線 THE MOVIE』シリーズ(98〜10)、『千と千尋の神隠し』(01)といった時代を代表するヒット作を上映し続けた。2010年には「ドルビー3D」を導入してテコ入れを図ったものの、シネマコンプレックスが主流となる時代の波に押され、2011年夏に興行館としての営業を終了。同年9月からは貸し映画館「札幌プラザ2・5」へと姿を変えた。貸しホール形態になってからは、試写会会場としての活用のほか、「札幌映画サークル」「映画の空気」「シネマ一馬力」などによる自主上映の場、さらには「札幌国際短編映画祭」「爆音映画祭」などのイベント会場として、地域の映画文化発展に大きく貢献する重要拠点となる。
そして2020年夏、同地は「サツゲキ」としてリニューアルオープンを果たす。「札幌プラザ2・5」が貸館として存続し、市民の映画活動が活発化していなければ、また市民が同館の営業を支え続けていなければ、「サツゲキ」の復活まで、この場所は残っていなかったかもしれない。

2026年夏、この場所は次世代型 LIVE HOUSE/CLUB「SYNC north(シンクノース)」に生まれ変わることが報じられている。コンセプトを「秘密基地」とした北海道最大規模の音楽・ナイトカルチャー施設だ。札幌都市部では中規模ライブハウスの不足が課題となっており、市も夜間エンターテインメントによる観光事業の活性化を掲げている。これら二つの追い風を考えれば、今回のリニューアルは時宜を得た堅実な判断、、かもしれない。「サツゲキ」の跡地は、映画から音楽へとその役割が変わろうとしている。
 
バイバイ、サツゲキ。ありがとう、プラザ。
どちらも日本で一番好きな最高なハコでした。

※1:一般社団法人コミュニティシネマセンター発行「映画上映活動年鑑2024」参照
 

札幌プラザ2・5時代の地下ホール(14年11月|提供:札幌映画サークル企画班)

まさか、サツゲキが失くなるなんて。


ディノスシネマズ札幌劇場閉館日(19年6月)

サツゲキは、入居する「札幌プラザ2・5」を所有する管理会社と来年度以降の契約更改を交渉したが、条件が合わず、賃貸借契約満了をもって閉館が決定した。サツゲキ側には継続の意思が十分にあっただけに、無念の決定と言える。これにより、100年以上続いた「映画館」という業態そのものが、このビルから消滅することになる。
前身のスガイディノス時代、映画館は経営母体の変革に幾度となく翻弄されてきた。2018年、当時RIZAPグループ傘下だった「ディノス札幌中央ビル」は、グループの赤字に伴う事業再構築の対象となり、売却・解体が決定。「札幌の娯楽の聖地」は一度失われた。
 

千秋楽。北のエリート(キンプリファン)から劇場スタッフへサプライズ

映画館・ボウリング場・ゲームセンターを運営する部門は、会社分割によって誕生した新会社「スガイディノス」として、小笠原一郎さんが代表を務める道内企業投資ファンド「北海道SOキャピタル」へ売却。同社は地場資本の独立系エンターテイメント企業に戻す立役者になった。サツゲキ復活のためのクラウドファンディングが実施され、773人から約1,200万円集まった。また、全国のミニシアターを対象にした「ミニシアター・エイド基金」からは1館あたり約300万円が寄付されている。どちらも、映画館を未来に存続させるために応援した映画ファンの数だ。

閉館日、めが兄ぃこと横澤康彦支配人(19年6月)

2020年7月の新型コロナウィルスが猛威を振るう真っ只中「札幌の文化を発信する施設、大人の秘密基地にしたい」というコンセプトで復活。モダンな雰囲気に加え、映画館がある洗練されたカフェとして発信。「BAKERY ONE CARAT」のパンやスムージーなど、他の映画館とは一線を画した施策を追求した。しかし、2022年5月末、スガイディノスが民事再生法の適用を申請し負債総額約23億円と報道される。そして、民事再生手続き中のスガイディノスの映画事業をシネマサンシャインを全国展開する佐々木興業グループが承継する。

シアター2へ行く通路から(26年3月)

しかし、筆者はその流れに希望を抱いていた。全国規模かつ映画興行のプロが救世主として現れたことで、「建物が限界を迎える日まで、この場所で映画館は生き続ける」と信じていた。しかし、現実はあまりにも腑に落ちない理由で幕を閉じることになった。
一般社団法人コミュニティシネマセンターの岩崎ゆう子事務局長は「札幌は200万近い人口の都市でミニシアターが2スクリーンという現状は寂しい」と語る。今回の閉館によって「シアターキノ」(中央区南3西6)の僅か2つを残すのみとなる。全国的に映画館の増減はあれど、東北(238スクリーン/全国シェア6%分[※1])・北海道(114スクリーン/全国シェア3.1%分[※1])ブロックの少なさは特に目立つという。

ビル1Fにあった「やきそばじろ」。店主の厚意から映画だらけに。(22年2月)

サツゲキ閉館を嘆くのは、映画ファンだけではない。映画の作り手たちもまた、深い喪失感を抱いている。『ちょっと思い出しただけ』(22)などの松居大悟監督は、サツゲキとの縁を振り返り、その心中を明かした。松居作品は、活動初期から多くの作品で同館に支えられてきたという。またコロナ禍直前に「札幌プラザ2・5」を訪れた際、歴史を感じさせる『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』(80)など当時のポスターなどを目にし、映画に寄り添い続けてきた映画館の重みと楽しさを実感したと振り返る。「劇場で見る映画は、あの頃を思い出すこともできる。作り手にとって、映画館がなければ作品を上映することはできない」と語り、映画館が映画表現における重要な位置付けであることを再認識させてくれた。

配給会社”一瞬目の前が真っ暗になった”


千秋楽、大混雑する2Fロビー

映画館は人を集める磁場であり、その消滅は狸小路商店街に対して地元市民の流動をも変化させる可能性がある。そして何より、映画を観客に届けるための”映画産業の循環構造”そのものへの致命的な打撃となるのではないか?
『少女邂逅』(18)、『アルプススタンドのはしの方』(20)など、数多くの作品をディノスシネマズ札幌劇場(19年閉館)時代から配給してきたSPOTTED PRODUCTIONSの直井卓俊代表は、その役割を「非常にありがたい存在で、弊社のようなインディーズとメジャーとの中間規模の映画にとって、ちょうどしっくりくるのがサツゲキだった」と語る。2022年にスガイディノスから運営が変わり、佐々木興業グループのもとで継続するとなっていただけに、今回の決定には”一瞬目の前が真っ暗になった”という。

閉館。劇場運営を支えた新旧スタッフがお見送り

こうした危機は札幌に限った話ではない。東京都新宿区の「シネマカリテ」や愛知県の「刈谷日劇」など、インディーズ映画の拠点となる映画館が全国的に姿を消しつつある。時流という声もあるが、インディーズ作品やアート作品をスクリーンで鑑賞できる機会が失われていく現状は、極めて深刻だ。
サツゲキで最後に上映された作品に『結局珈琲』(26)がある。そのキャッチコピーにはこう記されている。「1人になりたくて、なりたくない私たち」、 直井さんはこの言葉がそのまま、現代における「映画館」の在り方に通じると指摘する。暗闇の中で1人でありながら、同じ空間に誰かがいる。その絶妙な距離感こそが、映画館という場所が提供してきた「居場所」の正体なのだ、と。インディーズ映画の拠点となる映画館が姿を消す現状は、新しいクリエイターの育成の場が失われることも意味する。映画人にとって、映画館で映画を観ることは、アスリートがトレーニングルームで「筋トレ」をすることと同義と言えるのではないか??

神格化(?!)する、めが兄ぃこと横澤康彦支配人(26年3月)

ここで直視すべきは小規模映画のリアルだ。
「ここでしか観られない映画」という言葉は、ビジネスの側面では「市場が小さく、広告宣伝費をかけられない」という不都合な真実の裏返しでもある。年間約1,100〜1,300本公開される映画のうち、北海道で公開されるのは約600本。メジャー映画以外の多くはサツゲキとシアターキノが担ってきた。サツゲキが担っていた作品は今後、市内の他館へ分散されるが、シネマコンプレックス(以後「シネコン」と表記)での上映は初動の動員が良くなければ、即座に時間帯が厳しくなり、打ち切りも早まる。映画館の運営コスト(映写機のランプ代など)は観客が3人でも200人でも変わらない。その厳しさをファンも知っておく必要がある。ちなみに慢性的に映画館が少ない地である札幌市内のシネコンは、インディーズ作品、アート作品は普段からきちんと公開してくれている。

具体的な「リアクション」は嬉しい


片桐はいりさん演じる”もぎりさん”のサインなど(26年3月)

目を向けるべきは、北海道の映画興行が置かれた過酷な数値だ。
広大な大地に、一般興行館は2026年8月には20館になる。観客動員数の全国シェアは2.5%[※1]に過ぎず、北海道より人口の少ない静岡県(2.9%[※1])より低く、5大都市の中では4位の福岡県(5.2%[※1])の半分である。日本の場合、文化支援の手厚いフランスなどの諸外国と異なり、民間である映画産業に対する公的サポートは”企画”ごとへの助成がほとんどで映画館の「日常の営業」にはほぼ皆無だ。娯楽や趣味なのだから「公金頼りにするな」という声も聞こえてきそうだが、新しくできる複合型商業施設へ映画館が併設されるケースも多く、強力な集客力になると言えるので決して芸術的な側面ではなく経済価値も高いのではないか??

北のエリートからの贈り物(26年3月)

以下は映画配給から興行までを支える施策である。
* 地元映画メディアを活用する
* 企業とのタイアップ企画にアクションを!
* 劇場でポップコーンやグッズを楽しむ
* シネアド(上映前のCM)や劇場サンプリングを邪険にしない。見えるところに捨てないで(泣)
これらはほんの一例だが限られる映画館にとって、こうした展開は貴重な収益源であり、周知の機会だ。特に映画以外の企業が映画産業を応援してくれる取り組み(シネアドやタイアップ企画)は、協力・協賛する企業担当者の「映画愛」によるものもある。反応が良くなければ「次」は難しく、担当者の立場はなくなり、、負の連鎖が始まる。なので負担にならない程度でアクションがあると嬉しいのだ!
 

坪井さん地下ホールのスクリーン前で(19年11月)

かつて札幌プラザ2・5時代にイベントを行った名古屋シネマスコーレの坪井篤史支配人は、「大事な仲間がまたひとつ消えてしまう。残った我々が映画館文化の灯を消さないようにしなければならない」と悲痛な決意を口にした。一度失った映画館は、二度と戻らない可能性が高い。仮に建物が壊され、歴史の連続性が絶たれた更地に、再び映画館が建つ可能性は限りなくゼロに近い。北海道の映画産業をこれ以上衰退させないための、これは最後の気づきなのかもしれない。映画にお金を出して時間を使って頂いている方々には純粋に映画鑑賞を楽しんでほしく、このようなことを伝えるのは申し訳ない。しかし、自分たちが大切にしている”ハコ”を守っていくためには、知っておいてほしい現実でもある。

ここ5丁目に映画館はずっとあった。


狸小路破壊!『ガメラ2/レギオン襲来』公開時(提供:中根研一)

1918年に開業した浦河大黒座の4代目・三上雅弘さんは、今回の閉館を「寂しくなる」と惜しむ。奇しくも大黒座が始まった年は、サツゲキの超前身「札幌劇場」が芝居小屋としてスタートした年である。また、サツゲキにテナントとして札幌プラザ2・5の映画館部分を貸している株式会社谷井も同所で1925年から映画館として営業している。少し歴史を振り返るが最初は狸小路3丁目で「遊楽館」を経営していた九島興行が、洋画封切館として「三友館」を設立し、初代支配人に谷井平蔵さんが就任。札幌でいち早く発声装置(トーキー)を導入するなど先駆的な映画館だった。1938年「日活館」に、さらに九島興行から独立し、谷井一族が「日活」の看板を掲げ興行を続ける。今でいうフランチャイズ営業していくことに。

東宝プラザ時代の“光壁”と呼ばれる箇所。レトロな雰囲気、ゲストの記念写真スポットに。(提供:札幌映画サークル企画班)

1975年、東宝系列の洋画ロードショー館「札幌東宝プラザ」としてリニューアル。1981年には「東宝プラザ(2F)」「プラザ2(B1)」の2スクリーン体制となり、『もののけ姫』(97)、『踊る大捜査線 THE MOVIE』シリーズ(98〜10)、『千と千尋の神隠し』(01)といった時代を代表するヒット作を上映し続けた。2010年には「ドルビー3D」を導入してテコ入れを図ったものの、シネマコンプレックスが主流となる時代の波に押され、2011年夏に興行館としての営業を終了。同年9月からは貸し映画館「札幌プラザ2・5」へと姿を変えた。貸しホール形態になってからは、試写会会場としての活用のほか、「札幌映画サークル」「映画の空気」「シネマ一馬力」などによる自主上映の場、さらには「札幌国際短編映画祭」「爆音映画祭」などのイベント会場として、地域の映画文化発展に大きく貢献する重要拠点となる。

札幌プラザ2・5時代の地下ホール(14年11月|提供:札幌映画サークル企画班)

そして2020年夏、同地は「サツゲキ」としてリニューアルオープンを果たす。「札幌プラザ2・5」が貸館として存続し、市民の映画活動が活発化していなければ、また市民が同館の営業を支え続けていなければ、「サツゲキ」の復活まで、この場所は残っていなかったかもしれない。

2026年夏、この場所は次世代型 LIVE HOUSE/CLUB「SYNC north(シンクノース)」に生まれ変わることが報じられている。コンセプトを「秘密基地」とした北海道最大規模の音楽・ナイトカルチャー施設だ。札幌都市部では中規模ライブハウスの不足が課題となっており、市も夜間エンターテインメントによる観光事業の活性化を掲げている。これら二つの追い風を考えれば、今回のリニューアルは時宜を得た堅実な判断、、かもしれない。「サツゲキ」の跡地は、映画から音楽へとその役割が変わろうとしている。
 
バイバイ、サツゲキ。ありがとう、プラザ。
どちらも日本で一番好きな最高なハコでした。

※1:一般社団法人コミュニティシネマセンター発行「映画上映活動年鑑2024」参照
 

矢武兄輔

まちのえいが屋さん/キャプテン・ポップコーン

20歳の1月。札幌映画サークルに入会直後、さぬき映画祭への参加で『踊る大捜査線』の製作陣や深田晃司監督と出逢い、映画界の現実や地方から発信するエンタメの可能性を知る。そこから「映画館へ行く人を増やす」という目標を持ち、カネゴンを呼んでみたり、学生向け媒体をつくったり、休学して東京国際映画祭で勤務、映画館へ就職→退職→「矢武企画」を起業からの今は某局でラジオDJ。 すべては『踊る』の完結が始まりだった。そして、踊るプロジェクト再始動と共に…! ということで、皆さんにとって映画がもっと近くなれますように。

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