報道が人を壊してしまう瞬間が、たしかにある。それは決して特別な出来事ではなく、日常の中に潜む、“言葉の暴走”です。
映画『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』は、20年前に実際に起きた教育現場での事件をもとに、報道、教育、家庭、そして「空気」がひとりの教師を社会から排除していく過程を描いています。
この映画は、私たちが見逃してきた“現実”の再現であり、静かな警鐘でもあります。
詳しいあらすじ・キャスト情報はこちらもチェック
▼『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』試写会レビュー記事
(text|早川真澄)
真実を主張することが、罪とされた日

(C)2007 福田ますみ/新潮社 (C)2025「でっちあげ」製作委員会
この事件に目をつけた週刊春報の記者・鳴海三千彦(亀梨和也)は、彼を「殺人教師」として実名で報じ、世間はその見出しに飛びつきました。
学校も社会も、彼を守ることなく、沈黙の中で孤立へと追い込んでいきます。
唯一、彼のそばにいたのは妻・希美(木村文乃)。
妻の言葉が、やがて薮下に“語る覚悟”を与えることになります。そして彼はついに法廷で静かに言葉を発しました。「すべて事実無根の“でっちあげ”です」と──。
無実を訴えても、誰も聞こうとしないという恐怖
けれど、彼の言葉を「聞く耳」はありません。
すでに「加害者」という空気が出来上がっていたからです。
児童の証言が絶対視され、母親の涙が正義となり、報道が煽る──社会は“考える”ことをやめ、“信じたい物語”に身を委ねていきます。
わかりやすさが求められる中で、沈黙は罪とされ、反論は敵意と見なされる。
彼は、「誰にも届かない声」を語り続けるしかない存在にされていきます。

(C)2007 福田ますみ/新潮社 (C)2025「でっちあげ」製作委員会
報道は「言葉」を放つ。だが、その先までは想像しない─“報道の途中下車”が壊すもの

(C)2007 福田ますみ/新潮社 (C)2025「でっちあげ」製作委員会
この映画が突きつけるのは、「報道の自由」ではなく、「報道の責任」です。
記者・鳴海三千彦(亀梨和也)は、母親の証言だけを信じて記事を書き、拡散します。
教師を追い詰める彼の冷徹な表情こそが、冷静さを装いながら、正義を商材に変える者の恐ろしさを象徴していました。
「語れなかった男」が言葉を取り戻すまで─妻の覚悟が導いた静かな反撃
けれど、法廷という場で彼はついに“語る”決意をします。
その背中を押したのが、木村文乃が演じる妻・希美でした。
「あなたの味方だから」というそのひと言は、ただの慰めではなく、戦う覚悟そのもの。家族としての尊厳を守るための強い宣言です。
その言葉に支えられ、教師は“沈黙する人”から“真実を語る人”へと変わっていきます。
彼の証言には、信頼のなかで取り戻された人間の尊厳が宿っていて、思わず拳を握りしめていました。

(C)2007 福田ますみ/新潮社 (C)2025「でっちあげ」製作委員会
観る者を試す映画──私たちは“語る責任”を背負えるのか?

(C)2007 福田ますみ/新潮社 (C)2025「でっちあげ」製作委員会
むしろ「知ったふりで語る」「聞こうとしない」「見出しだけで判断する」――そのすべてが、私たち自身の内にある“加害”です。
「報道の自由」とは何か。
それを享受する側に、どれだけの想像力と責任が求められるのか。
映画を観終えたあと、私たちは“何を語るか”という問いを、静かに突きつけられます。
映画『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』の基本情報
■出演:綾野剛、木村文乃、柴咲コウ、亀梨和也 ほか
■監督:三池崇史
■原作:福田ますみ『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』
■配給:東映
■公式サイト:https://www.detchiagemovie.jp/

(C)2007 福田ますみ/新潮社 (C)2025「でっちあげ」製作委員会
真実を主張することが、罪とされた日

(C)2007 福田ますみ/新潮社 (C)2025「でっちあげ」製作委員会
この事件に目をつけた週刊春報の記者・鳴海三千彦(亀梨和也)は、彼を「殺人教師」として実名で報じ、世間はその見出しに飛びつきました。
学校も社会も、彼を守ることなく、沈黙の中で孤立へと追い込んでいきます。
唯一、彼のそばにいたのは妻・希美(木村文乃)。
妻の言葉が、やがて薮下に“語る覚悟”を与えることになります。そして彼はついに法廷で静かに言葉を発しました。「すべて事実無根の“でっちあげ”です」と──。
無実を訴えても、誰も聞こうとしないという恐怖

(C)2007 福田ますみ/新潮社 (C)2025「でっちあげ」製作委員会
けれど、彼の言葉を「聞く耳」はありません。
すでに「加害者」という空気が出来上がっていたからです。
児童の証言が絶対視され、母親の涙が正義となり、報道が煽る──社会は“考える”ことをやめ、“信じたい物語”に身を委ねていきます。
わかりやすさが求められる中で、沈黙は罪とされ、反論は敵意と見なされる。
彼は、「誰にも届かない声」を語り続けるしかない存在にされていきます。
報道は「言葉」を放つ。だが、その先までは想像しない─“報道の途中下車”が壊すもの

(C)2007 福田ますみ/新潮社 (C)2025「でっちあげ」製作委員会
この映画が突きつけるのは、「報道の自由」ではなく、「報道の責任」です。
記者・鳴海三千彦(亀梨和也)は、母親の証言だけを信じて記事を書き、拡散します。
教師を追い詰める彼の冷徹な表情こそが、冷静さを装いながら、正義を商材に変える者の恐ろしさを象徴していました。
「語れなかった男」が言葉を取り戻すまで─妻の覚悟が導いた静かな反撃

(C)2007 福田ますみ/新潮社 (C)2025「でっちあげ」製作委員会
けれど、法廷という場で彼はついに“語る”決意をします。
その背中を押したのが、木村文乃が演じる妻・希美でした。
「あなたの味方だから」というそのひと言は、ただの慰めではなく、戦う覚悟そのもの。家族としての尊厳を守るための強い宣言です。
その言葉に支えられ、教師は“沈黙する人”から“真実を語る人”へと変わっていきます。
彼の証言には、信頼のなかで取り戻された人間の尊厳が宿っていて、思わず拳を握りしめていました。
観る者を試す映画──私たちは“語る責任”を背負えるのか?

(C)2007 福田ますみ/新潮社 (C)2025「でっちあげ」製作委員会
むしろ「知ったふりで語る」「聞こうとしない」「見出しだけで判断する」――そのすべてが、私たち自身の内にある“加害”です。
「報道の自由」とは何か。
それを享受する側に、どれだけの想像力と責任が求められるのか。
映画を観終えたあと、私たちは“何を語るか”という問いを、静かに突きつけられます。
映画『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』の基本情報

(C)2007 福田ますみ/新潮社 (C)2025「でっちあげ」製作委員会
■出演:綾野剛、木村文乃、柴咲コウ、亀梨和也 ほか
■監督:三池崇史
■原作:福田ますみ『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』
■配給:東映
■公式サイト:https://www.detchiagemovie.jp/
早川真澄
ライター・編集者
北海道の情報誌の編集者として勤務し映画や観光、人材など地域密着の幅広いジャンルの制作を手掛ける。現在は編集プロダクションを運営し雑誌、webなど媒体を問わず企画制作を行っています。