あっという間に2026年。キャプテン・ポップコーンこと矢武兄輔が、2025年の映画界の動向を振り返る「映画回顧2025」コラムです。前篇では、印象的だった国内外の映画業界の構造転換期の幕開けや道内で製作される映画や映画館について振り返ります。
日本のコンテンツを世界へ、海外戦略を本格化
(C)2025 A Pale View of Hills Film Partners
26年3月の第98回米国アカデミー賞国際長編映画賞には『国宝』(25)が日本代表になり、北米などへ海外配給も確定済み。また欧米を中心に人気の深田晃司監督の最新作である『恋愛裁判』(26)も国内外で配給され、『ゴジラ -1.0』(23)の北米興行の成功を皮切りに、海外戦略を強化していると考えられます。東宝は2032年までの長期経営戦略で“海外戦略”をキーワードにしていることから、日本産映像コンテンツの海外輸出を牽引していくことが期待できます。
制作現場では、安心して働ける環境を作るための日本映画制作適正化機構認定作品が増えており、12月22日(月)には東宝スタジオ内に「Lullabee(ララビー)」という託児所が開設されました。また、内閣府が設置した映画戦略企画委員会の展開もあることから、官民が一体となってクリエイター・コンテンツ産業の発展を担っていく未来に希望が持てそうです。
(C)2025「恋愛裁判」製作委員会
米映画産業に大きな変化が
(C)2024 PARAMOUNT PICTURES.
中でも世間を騒がしたのは、米配信プラットフォーム大手のNetflixが米ワーナー・ブラザーズ・ディスカバリー(以後「WBD」表記)の映画事業と配信事業を720億ドル(約11兆円)で買収することで合意したと発表されたことです。一方で、WBD “全体”の買収を目指していた競合のパラマウント・スカイダンス・コーポレーションも敵対的買収を提案しましたが、WBDは拒否。本件、規制当局の動きやホワイトハウス界隈の介入も示唆されており、映画業界内の話だけに収まらない事態になっています。
ちなみに、ワーナー・ブラザース映画の国内展開は、アメリカの日本営業所として1925年に設立したところから始まり、100年目で幕を閉じることになります。なお、絶賛公開中の『爆弾』(25)のように、日本で製作した作品配給については、どうなるかは不明です。
(C)呉勝浩/講談社 (C)2025 映画『爆弾』製作委員会
道内映画の動向、楽しいことと悲しいこと。
FOOVIEクロージングの様子。ジョニー・トー監督らゲスト多数で盛り上がる映画祭
10月には20年目の「札幌国際短編映画祭」、11月には開催時期を変更した「新千歳空港国際アニメーション映画祭」、12月には「函館港イルミナシオン映画祭」です。また、24年にスタートした「北海道フードフィルムフェスティバル」は「HOKKAIDO FOOVIE FESTIVAL(北海道フービーフィスティバル)」(FOOVIEはFOOD+MOVIEの造語)と名前を一新し、スタートしました。
夕張市でレッドカーペットを歩く『男神』(25)の岩橋玄樹さん、井上雅貴監督
サツゲキのシアター4(23年7月撮影)
同館は、貸映画館だった札幌プラザ2・5(旧東宝プラザ)へテナントとして移転し、20年7月にオープン。22年5月に運営会社のスガイディノスが、民事再生手続を開始し、GENDA GiGO Entertainmentとグランドシネマサンシャイン池袋などを運営する佐々木興業が共同運営することになり、今日まで愛されています。26年3月29日(日)に閉館、オープンから約6年間の営業でした。なお、本件を受け、札幌市内には4館35スクリーンの映画館体制になります。
一方、11月にはイオンシネマ江別がリニューアルオープンし、26年2月には東川町にミニシアター「ル・シネマ・キャトル」がオープンするなど活気ある側面もあります。
26年は、1月〜3月に旭川市出身・白石和彌監督の最新作のロケが札幌市内や旭川で予定されています。現在、札幌舞台の映画シリーズであることのみ公表され、既にエキストラ募集を開始。札幌市内では2月上旬に1,000人規模の大ロケーションを予定しているとの情報もあります。
また、別海町などで撮影された中川龍太郎監督最新作『恒星の向こう側』や釧路市で撮影された金子修介監督最新作『2126年、海の星をさがして』が、26年中に劇場公開予定です。
一方、えりも・浦河・様似・広尾の4町が出資で映画製作に参加する『北の流氷(仮題)』が製作中止に。浦河町出身の田中光敏監督と4町側の対話不足、行政側の映画製作に対する知識不足、億単位の費用を扱うにも関わらず契約書がなかった等、反省点が存在します。道産子の映画監督を起用し、かつ地元ロケの作品を約10年間、温めていた企画なだけに残念です。
(C)2025映画「恒星の向こう側」製作委員会
日本のコンテンツを世界へ、海外戦略を本格化
(C)2025 A Pale View of Hills Film Partners
(C)2025「恋愛裁判」製作委員会
26年3月の第98回米国アカデミー賞国際長編映画賞には『国宝』(25)が日本代表になり、北米などへ海外配給も確定済み。また欧米を中心に人気の深田晃司監督の最新作である『恋愛裁判』(26)も国内外で配給され、『ゴジラ -1.0』(23)の北米興行の成功を皮切りに、海外戦略を強化していると考えられます。東宝は2032年までの長期経営戦略で“海外戦略”をキーワードにしていることから、日本産映像コンテンツの海外輸出を牽引していくことが期待できます。
制作現場では、安心して働ける環境を作るための日本映画制作適正化機構認定作品が増えており、12月22日(月)には東宝スタジオ内に「Lullabee(ララビー)」という託児所が開設されました。また、内閣府が設置した映画戦略企画委員会の展開もあることから、官民が一体となってクリエイター・コンテンツ産業の発展を担っていく未来に希望が持てそうです。
米映画産業に大きな変化が
(C)2024 PARAMOUNT PICTURES.
中でも世間を騒がしたのは、米配信プラットフォーム大手のNetflixが米ワーナー・ブラザーズ・ディスカバリー(以後「WBD」表記)の映画事業と配信事業を720億ドル(約11兆円)で買収することで合意したと発表されたことです。一方で、WBD “全体”の買収を目指していた競合のパラマウント・スカイダンス・コーポレーションも敵対的買収を提案しましたが、WBDは拒否。本件、規制当局の動きやホワイトハウス界隈の介入も示唆されており、映画業界内の話だけに収まらない事態になっています。
(C)呉勝浩/講談社 (C)2025 映画『爆弾』製作委員会
ちなみに、ワーナー・ブラザース映画の国内展開は、アメリカの日本営業所として1925年に設立したところから始まり、100年目で幕を閉じることになります。なお、絶賛公開中の『爆弾』(25)のように、日本で製作した作品配給については、どうなるかは不明です。
道内映画の動向、楽しいことと悲しいこと。
FOOVIEクロージングの様子。ジョニー・トー監督らゲスト多数で盛り上がる映画祭
10月には20年目の「札幌国際短編映画祭」、11月には開催時期を変更した「新千歳空港国際アニメーション映画祭」、12月には「函館港イルミナシオン映画祭」です。また、24年にスタートした「北海道フードフィルムフェスティバル」は「HOKKAIDO FOOVIE FESTIVAL(北海道フービーフィスティバル)」(FOOVIEはFOOD+MOVIEの造語)と名前を一新し、スタートしました。
夕張市でレッドカーペットを歩く『男神』(25)の岩橋玄樹さん、井上雅貴監督
サツゲキのシアター4(23年7月撮影)
同館は、貸映画館だった札幌プラザ2・5(旧東宝プラザ)へテナントとして移転し、20年7月にオープン。22年5月に運営会社のスガイディノスが、民事再生手続を開始し、GENDA GiGO Entertainmentとグランドシネマサンシャイン池袋などを運営する佐々木興業が共同運営することになり、今日まで愛されています。26年3月29日(日)に閉館、オープンから約6年間の営業でした。なお、本件を受け、札幌市内には4館35スクリーンの映画館体制になります。
一方、11月にはイオンシネマ江別がリニューアルオープンし、26年2月には東川町にミニシアター「ル・シネマ・キャトル」がオープンするなど活気ある側面もあります。
(C)2025映画「恒星の向こう側」製作委員会
26年は、1月〜3月に旭川市出身・白石和彌監督の最新作のロケが札幌市内や旭川で予定されています。現在、札幌舞台の映画シリーズであることのみ公表され、既にエキストラ募集を開始。札幌市内では2月上旬に1,000人規模の大ロケーションを予定しているとの情報もあります。
また、別海町などで撮影された中川龍太郎監督最新作『恒星の向こう側』や釧路市で撮影された金子修介監督最新作『2126年、海の星をさがして』が、26年中に劇場公開予定です。
一方、えりも・浦河・様似・広尾の4町が出資で映画製作に参加する『北の流氷(仮題)』が製作中止に。浦河町出身の田中光敏監督と4町側の対話不足、行政側の映画製作に対する知識不足、億単位の費用を扱うにも関わらず契約書がなかった等、反省点が存在します。道産子の映画監督を起用し、かつ地元ロケの作品を約10年間、温めていた企画なだけに残念です。
矢武兄輔
まちのえいが屋さん/キャプテン・ポップコーン
20歳の1月。札幌映画サークルに入会直後、さぬき映画祭への参加で『踊る大捜査線』の製作陣や深田晃司監督と出逢い、映画界の現実や地方から発信するエンタメの可能性を知る。そこから「映画館へ行く人を増やす」という目標を持ち、カネゴンを呼んでみたり、学生向け媒体をつくったり、休学して東京国際映画祭で勤務、映画館へ就職→退職→「矢武企画」を起業からの今は某局でラジオDJ。 すべては『踊る』の完結が始まりだった。そして、踊るプロジェクト再始動と共に…! ということで、皆さんにとって映画がもっと近くなれますように。