(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会
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2026.10.21

北海道別海町ロケ『恒星の向こう側』レビュー|“母親”の向こうにあった、ひとりの女性の人生

2026年10月30日(金)から順次公開の映画『恒星の向こう側』は、長年母との間にわだかまりを抱えてきた娘が、余命わずかな母と再び向き合う物語です。

東京で暮らす未知(福地桃子)は、母・可那子(河瀨直美)が倒れたことをきっかけに奈良へ戻ります。幼い頃から母の顔色をうかがい、自分の選択を否定されてきた未知。しかも彼女自身の体には、新しい命が宿っていました。母との関係に苦しみながら、自分もまた母になろうとしている。そんな未知がたどり着くのは、「本当は愛されていた」というわかりやすい答えではありません。

本作が描くのは、自分を傷つけた「母親」の向こう側に、ひとりの人間として生きてきた可那子の時間があったことを知っていく過程です。

同じ空間にいるだけで伝わる、母と娘の緊張

北海道別海町ロケ『恒星の向こう側』レビュー_福地桃子&河瀨直美

(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会

『恒星の向こう側』を観てまず印象に残るのは、未知と可那子の間に流れる張りつめた空気です。

可那子は病を抱えていてもなお強く、未知も母の前ではどこか身構えている。大きく感情をぶつけ合わなくても、2人が同じ画面にいるだけで、長い時間をかけて積み重なってきたものが見えてきます。その緊張感を支えているのが、福地桃子と河瀨直美の芝居です。福地が演じる未知は、母への感情を分かりやすく爆発させ続ける人物ではありません。むしろ、母の前に立ったときの居心地の悪さや、少し距離を測るような佇まいに、幼い頃から身についた感覚がにじみます。一方の可那子には、病による弱さだけではなく、簡単には揺らがない強さがある。2人の間にある「近いのに近づけない」距離そのものが、この映画の息苦しさと緊張につながっています。

なぜ過去を「回想」ではなく「演劇」で描くのか

本作で特に注目したいのが演劇を取り入れた構成です。登場人物たちの個人的な経験の一部が、創作過程の演劇作品として描かれるため、最初は少し戸惑う部分があります。ただ、この演劇という装置は、本作のテーマと深くつながっているように感じます。

普通の回想なら、観客は映された出来事を「過去にこういうことがあった」と受け取りやすい。一方で、舞台に置き換えられた瞬間、それは過去そのものではなく、誰かの記憶や解釈を通して再構成されたものになります。つまり観客が見ているのは、「可那子の過去の正解」ではありません。未知もまた、母の人生そのものに入り込めるわけではなく、残された言葉や記憶の断片から想像するしかない。だからこそ、本作では普通の回想ではなく、「演じ直された過去」が必要だったのではないでしょうか。その距離感が、他人の人生を完全には理解できないという感覚と重なっています。
北海道別海町ロケ『恒星の向こう側』レビュー_朝倉あき&南沙良

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野付半島で見えてくる、未知の知らなかった可那子

北海道別海町ロケ『恒星の向こう側』レビュー_福地桃子

(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会

物語のもうひとつの重要な舞台となるのが、北海道・野付半島です。ここにいるのは、可那子にとって大切な存在だった万理。未知にとって野付半島は、母との関係を見つめ直すうえで、重要な意味を持つ場所となります。万理は、可那子の過去に深く関わる人物です。若い可那子と万理の関係、そして現在の万理の存在を通して、奈良での母娘のやり取りだけでは見えなかった人間関係が浮かび上がってきます。

 
未知にとっての可那子と、万理にとっての可那子は、必ずしも同じではありません。親子という近しい関係にありながら、娘だからこそ知らなかったこともあります。奈良で向き合うのが、未知自身の記憶の中にいる母だとすれば、野付半島で触れるのは、別の人の記憶に残る可那子です。広く静かな風景の中で、そうした視点の違いが際立って見えます。野付半島は、母の過去を知るためだけでなく、同じ人物でも見る人によって異なる姿があることを、未知に気づかせる場所として描かれているように感じました。
北海道別海町ロケ『恒星の向こう側』レビュー_朝倉あき

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母の人生を知っても、自分の人生は自分で選ぶ

北海道別海町ロケ『恒星の向こう側』レビュー_福地桃子&河瀨直美

(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会

『恒星の向こう側』は、母と娘が最後にはすべて分かり合う物語ではありません。未知が可那子の過去を知ったからといって、これまでの関係がきれいに塗り替えられるわけではありません。それでも、知らなかった事実にふれ、異なる立場から母を見つめることで、未知自身の立ち位置も少しずつ変わっていきます。大人になれば、親が言っていたことの意味が、以前とは違って見えることもあります。けれど、それを理解することと、その人と同じ人生を選ぶことは別です。
未知はいま、自分自身も母になろうとしています。かつて母の言葉や選択に傷ついた彼女が、これからどんな人生を選び、どのように新しい命と向き合っていくのか。
母には母の人生があり、娘には娘の人生がある。
本作が描くのは、親の人生を理解することだけではありません。その人生に自分が縛られる必要はないと気づき、自分自身の選択へと向かっていくことなのだと思います。
北海道別海町ロケ『恒星の向こう側』レビュー_福地桃子

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『恒星の向こう側』作品概要

北海道別海町ロケ『恒星の向こう側』レビュー_ポスター

(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会

■北海道の上映劇場
シアターキノ(11月7日~)、イオンシネマ旭川駅前(10月30日~)、イオンシネマ釧路(10月30日~)

■公開日
2026年10月30日(金)

■出演
福地桃子
河瀨直美 寛一郎 朝倉あき 南沙良
三浦貴大 久保史緒里 中尾幸世

■監督/脚本/編集
中川龍太郎

■音楽
haruka nakamura

■制作プロダクション
Production I.G

■配給
NAKACHIKA

■公式HP
https://nakachikapictures.com/kosei-no-mukogawa

同じ空間にいるだけで伝わる、母と娘の緊張

北海道別海町ロケ『恒星の向こう側』レビュー_福地桃子&河瀨直美

(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会

『恒星の向こう側』を観てまず印象に残るのは、未知と可那子の間に流れる張りつめた空気です。

可那子は病を抱えていてもなお強く、未知も母の前ではどこか身構えている。大きく感情をぶつけ合わなくても、2人が同じ画面にいるだけで、長い時間をかけて積み重なってきたものが見えてきます。その緊張感を支えているのが、福地桃子と河瀨直美の芝居です。福地が演じる未知は、母への感情を分かりやすく爆発させ続ける人物ではありません。むしろ、母の前に立ったときの居心地の悪さや、少し距離を測るような佇まいに、幼い頃から身についた感覚がにじみます。一方の可那子には、病による弱さだけではなく、簡単には揺らがない強さがある。2人の間にある「近いのに近づけない」距離そのものが、この映画の息苦しさと緊張につながっています。

なぜ過去を「回想」ではなく「演劇」で描くのか

北海道別海町ロケ『恒星の向こう側』レビュー_朝倉あき&南沙良

(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会

本作で特に注目したいのが演劇を取り入れた構成です。登場人物たちの個人的な経験の一部が、創作過程の演劇作品として描かれるため、最初は少し戸惑う部分があります。ただ、この演劇という装置は、本作のテーマと深くつながっているように感じます。

普通の回想なら、観客は映された出来事を「過去にこういうことがあった」と受け取りやすい。一方で、舞台に置き換えられた瞬間、それは過去そのものではなく、誰かの記憶や解釈を通して再構成されたものになります。つまり観客が見ているのは、「可那子の過去の正解」ではありません。未知もまた、母の人生そのものに入り込めるわけではなく、残された言葉や記憶の断片から想像するしかない。だからこそ、本作では普通の回想ではなく、「演じ直された過去」が必要だったのではないでしょうか。その距離感が、他人の人生を完全には理解できないという感覚と重なっています。

野付半島で見えてくる、未知の知らなかった可那子

北海道別海町ロケ『恒星の向こう側』レビュー_福地桃子

(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会

物語のもうひとつの重要な舞台となるのが、北海道・野付半島です。ここにいるのは、可那子にとって大切な存在だった万理。未知にとって野付半島は、母との関係を見つめ直すうえで、重要な意味を持つ場所となります。万理は、可那子の過去に深く関わる人物です。若い可那子と万理の関係、そして現在の万理の存在を通して、奈良での母娘のやり取りだけでは見えなかった人間関係が浮かび上がってきます。

 
北海道別海町ロケ『恒星の向こう側』レビュー_朝倉あき

(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会

未知にとっての可那子と、万理にとっての可那子は、必ずしも同じではありません。親子という近しい関係にありながら、娘だからこそ知らなかったこともあります。奈良で向き合うのが、未知自身の記憶の中にいる母だとすれば、野付半島で触れるのは、別の人の記憶に残る可那子です。広く静かな風景の中で、そうした視点の違いが際立って見えます。野付半島は、母の過去を知るためだけでなく、同じ人物でも見る人によって異なる姿があることを、未知に気づかせる場所として描かれているように感じました。

母の人生を知っても、自分の人生は自分で選ぶ

北海道別海町ロケ『恒星の向こう側』レビュー_福地桃子&河瀨直美

(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会

『恒星の向こう側』は、母と娘が最後にはすべて分かり合う物語ではありません。未知が可那子の過去を知ったからといって、これまでの関係がきれいに塗り替えられるわけではありません。それでも、知らなかった事実にふれ、異なる立場から母を見つめることで、未知自身の立ち位置も少しずつ変わっていきます。大人になれば、親が言っていたことの意味が、以前とは違って見えることもあります。けれど、それを理解することと、その人と同じ人生を選ぶことは別です。
北海道別海町ロケ『恒星の向こう側』レビュー_福地桃子

(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会

未知はいま、自分自身も母になろうとしています。かつて母の言葉や選択に傷ついた彼女が、これからどんな人生を選び、どのように新しい命と向き合っていくのか。
母には母の人生があり、娘には娘の人生がある。
本作が描くのは、親の人生を理解することだけではありません。その人生に自分が縛られる必要はないと気づき、自分自身の選択へと向かっていくことなのだと思います。

『恒星の向こう側』作品概要

北海道別海町ロケ『恒星の向こう側』レビュー_ポスター

(C)2025 映画「恒星の向こう側」製作委員会

■北海道の上映劇場
シアターキノ(11月7日~)、イオンシネマ旭川駅前(10月30日~)、イオンシネマ釧路(10月30日~)

■公開日
2026年10月30日(金)

■出演
福地桃子
河瀨直美 寛一郎 朝倉あき 南沙良
三浦貴大 久保史緒里 中尾幸世

■監督/脚本/編集
中川龍太郎

■音楽
haruka nakamura

■制作プロダクション
Production I.G

■配給
NAKACHIKA

■公式HP
https://nakachikapictures.com/kosei-no-mukogawa

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