15周年を迎えたコンテンツスタジオ「BABEL LABEL」は、『正体』(24)の藤井道人監督や『帰ってきた あぶない刑事』(24)の原廣利監督らが所属するクリエイター集団のレーベル名です。SASARU movieでは、 「BABEL LABEL全国ミニシアターキャラバン」でサツゲキ(札幌)に訪れた林田浩川監督をインタビュー。映像作家になったきっかけ、 BABEL LABELで目指すこと、など語ってもらいました。
31歳、渡米経験あり。映像の世界に入るキッカケ

林田:はい(笑)。すごい変態で地味な作品で「うわー?!!」ってなっちゃって…。でも「こういう映画もあったんだ」と、すごく衝撃も受けたので、そこからインディーズ作品を観始めるようになりました。また、小さいころは周りが「仮面ライダー」などいろいろと好きなものがある中で、僕は香港版の西遊記がめちゃ好きで。90年代の作品なのですが、その時代の最先端のCGを香港の方々がつくっていて、それが忘れられないです。「映像を通して、誰かに楽しい時間をお届けする」ってことができたらな、というのがすごい根っこにある気がします。
映画に興味を持ったのは、通訳になりたいと思ったことがキッカケでした。画面下の文字ではなく、画面そのものをつくりたいと思って、高校生のときにカメラを買ってもらって、写真を撮る、物語をつくるが始まりました。そして、サンフランシスコに留学して、映画学科に入りましたね。


林田:これもすごい超絶ご縁で!
卒業後、アメリカで2年くらい働いてたんですね。それでコロナウイルスの流行が始まってしまって、仕事も全部止まっちゃって。「ここにいるのちょっとやばいな、一旦実家帰ろう」ということで帰国しました。その時、 BABEL LABELが10周年でディレクターを募集していることを知り合い伝手で聞いて、応募期限ギリギリに経歴書を送りました。でも、日本にいなかったから藤井道人監督や『新聞記者』(19)とかが全然ピンとこなくて…。「いますごく勢いのあるディレクター集団だよ!!」ということだけ聞いていて、BABEL LABELのことは知らなかったんですよ(笑)。でも、すぐに電話を頂いて、1回会ってみないか、ということになりました。
その方に教えてもらわなかったら、絶対に自分が所属するキッカケがなかったのですごい運命を感じています。
―――採用面接ってどなたがされるのですか?
林田:藤井(道人)さんと山田久人社長ですね。部屋の真ん中にお2人で座っていて。履歴書の写真が坊主の写真だったんですけど、面接時には髪がめちゃくちゃ伸びてて(笑)。「違うじゃん、坊主が来るかと思ったよ!」って言われたり、そんな感じで話が弾んでいきました。僕のルーツが中国系の華僑ということもあって、藤井さんのおじいさんも台湾の方で台湾への留学経験もあり、中華圏とか海外で仕事をしていきたいと言うマインドに通じるものがありましたね。
林田:本当に所属してすぐに企画の話がきました。
―――短編といっても、商業映画じゃないですか。いきなり、初めてな経験でしたか?
林田:めちゃ初めてでした(笑)。ただ、コロナ禍での撮影で、スタッフの人数に制限があって。商業映画かつ窪塚洋介さんが出演する大きな企画ではありましたが、肌感としては、アメリカで撮影していた短編やミュージックビデオと変わらなかったので助かりました。例えば、50人、30人体制でやりますと言われたら、めちゃくちゃ緊張したかもしれないけど、少人数体制だったことで、スタッフの方と緻密にお話ができる環境だったことは良かったことですね。

(C)2021 Sony Pictures Entertainment (Japan) Inc. All rights reserved.

(C)2024「青春 18×2」Film Partners
林田:役割としては、原作に基づいて、藤井さんが大体のあらすじを決めて、そこから台湾の文化や喋り方など一緒に詰めていこうと誘われました。そうしたら、「1回、書いてみなよ!」と言われて、一緒に脚本を書き始めましたね。現地の方にたくさん取材して、藤井さんと一緒に決めていったという感じです。
林田:配信などがある中で、映画館へ足を運んで観るという行為の大切さ。あと、超直結でクリエイターたちの収益や次の作品につながるということは、配信では分かりづらいこと。映画館を訪ねてみたら、ひとりひとりが歩いて劇場へ来てくれて、2時間座って映画を観てくれます。その行為が、そのまま自分たちへの評価に繋がっているし、観客の方の顔が見えるのがいいですね。細かいことで言えば、どんな服装で来てくれたといったことまでわかる(笑)。脚本を書いて、撮影して・・・長いプロセスの中で最後はここ(映画館)なんだな、と。今回のキャラバンで間近で体験できたことはすごい貴重な経験だったと思いました。


林田:ダンスホール! この人が踊っているから僕も一緒に踊るではなくて、みんなが違う踊りをしている形であるべきだな、とすごい思うんです。みんなが勝手にいろんなダンスを踊っている場所であるべきと。 BABEL LABEL自体、いろんなことをみんな別々というか、自分がやりたいことを突き進めてやっている方たちの集団なので、「みんなでチーム」ではなく「会社が軸」として、みんなのビジョンを枝分かれし、もっともっと広げられるように、と進めている集団だと思っています。
林田:僕は、国際担当と言っても過言ではないくらい BABEL LABELのこれからの国際的発展を背負ってる気持ちで、企画を考えているし、監督や脚本家をやっていくつもりです! 『青春 18×2 君へと続く道』もそうですが、アジアだけではなく、他の地域の方々にも届くようにユニバーサルな作品を求められています。僕もそれが作りたい。世界のいろんな人が観ても面白いって思えるんだけど、しっかりパーソナルであってほしい。自分のばあちゃんが観ても面白い、自分の家族が観ても面白い、という作品を作っていけたらな、と思っています。

(C)2021 Sony Pictures Entertainment (Japan) Inc. All rights reserved.

1994年生まれ、神奈川県出身。
日本語、英語、広東語、北京語を話す。高校を卒業してすぐ渡米。サンフランシスコ州立大学映画学部フィクション専攻を2018年に卒業後、現地のフォトラボで暗室マンとして働きながら、フリーランス映像監督として活動。短篇『Take The Next Bus, Honey』は複数のインディーズ映画祭で評価され、歴史あるRoxie Theaterで上映された。2020年に帰国後、BABEL LABELに所属。
<映画>
短編映画『タイクーン』(『DIVOC-12』内)監督
長編映画『青春18x2 君へと続く道』共同脚本・監督補
31歳、渡米経験あり。映像の世界に入るキッカケ


林田:はい(笑)。すごい変態で地味な作品で「うわー?!!」ってなっちゃって…。でも「こういう映画もあったんだ」と、すごく衝撃も受けたので、そこからインディーズ作品を観始めるようになりました。また、小さいころは周りが「仮面ライダー」などいろいろと好きなものがある中で、僕は香港版の西遊記がめちゃ好きで。90年代の作品なのですが、その時代の最先端のCGを香港の方々がつくっていて、それが忘れられないです。「映像を通して、誰かに楽しい時間をお届けする」ってことができたらな、というのがすごい根っこにある気がします。
映画に興味を持ったのは、通訳になりたいと思ったことがキッカケでした。画面下の文字ではなく、画面そのものをつくりたいと思って、高校生のときにカメラを買ってもらって、写真を撮る、物語をつくるが始まりました。そして、サンフランシスコに留学して、映画学科に入りましたね。

林田:これもすごい超絶ご縁で!
卒業後、アメリカで2年くらい働いてたんですね。それでコロナウイルスの流行が始まってしまって、仕事も全部止まっちゃって。「ここにいるのちょっとやばいな、一旦実家帰ろう」ということで帰国しました。その時、 BABEL LABELが10周年でディレクターを募集していることを知り合い伝手で聞いて、応募期限ギリギリに経歴書を送りました。でも、日本にいなかったから藤井道人監督や『新聞記者』(19)とかが全然ピンとこなくて…。「いますごく勢いのあるディレクター集団だよ!!」ということだけ聞いていて、BABEL LABELのことは知らなかったんですよ(笑)。でも、すぐに電話を頂いて、1回会ってみないか、ということになりました。
その方に教えてもらわなかったら、絶対に自分が所属するキッカケがなかったのですごい運命を感じています。
―――採用面接ってどなたがされるのですか?
林田:藤井(道人)さんと山田久人社長ですね。部屋の真ん中にお2人で座っていて。履歴書の写真が坊主の写真だったんですけど、面接時には髪がめちゃくちゃ伸びてて(笑)。「違うじゃん、坊主が来るかと思ったよ!」って言われたり、そんな感じで話が弾んでいきました。僕のルーツが中国系の華僑ということもあって、藤井さんのおじいさんも台湾の方で台湾への留学経験もあり、中華圏とか海外で仕事をしていきたいと言うマインドに通じるものがありましたね。

(C)2021 Sony Pictures Entertainment (Japan) Inc. All rights reserved.
林田:本当に所属してすぐに企画の話がきました。
―――短編といっても、商業映画じゃないですか。いきなり、初めてな経験でしたか?
林田:めちゃ初めてでした(笑)。ただ、コロナ禍での撮影で、スタッフの人数に制限があって。商業映画かつ窪塚洋介さんが出演する大きな企画ではありましたが、肌感としては、アメリカで撮影していた短編やミュージックビデオと変わらなかったので助かりました。例えば、50人、30人体制でやりますと言われたら、めちゃくちゃ緊張したかもしれないけど、少人数体制だったことで、スタッフの方と緻密にお話ができる環境だったことは良かったことですね。

(C)2024「青春 18×2」Film Partners
林田:役割としては、原作に基づいて、藤井さんが大体のあらすじを決めて、そこから台湾の文化や喋り方など一緒に詰めていこうと誘われました。そうしたら、「1回、書いてみなよ!」と言われて、一緒に脚本を書き始めましたね。現地の方にたくさん取材して、藤井さんと一緒に決めていったという感じです。

林田:配信などがある中で、映画館へ足を運んで観るという行為の大切さ。あと、超直結でクリエイターたちの収益や次の作品につながるということは、配信では分かりづらいこと。映画館を訪ねてみたら、ひとりひとりが歩いて劇場へ来てくれて、2時間座って映画を観てくれます。その行為が、そのまま自分たちへの評価に繋がっているし、観客の方の顔が見えるのがいいですね。細かいことで言えば、どんな服装で来てくれたといったことまでわかる(笑)。脚本を書いて、撮影して・・・長いプロセスの中で最後はここ(映画館)なんだな、と。今回のキャラバンで間近で体験できたことはすごい貴重な経験だったと思いました。

林田:ダンスホール! この人が踊っているから僕も一緒に踊るではなくて、みんなが違う踊りをしている形であるべきだな、とすごい思うんです。みんなが勝手にいろんなダンスを踊っている場所であるべきと。 BABEL LABEL自体、いろんなことをみんな別々というか、自分がやりたいことを突き進めてやっている方たちの集団なので、「みんなでチーム」ではなく「会社が軸」として、みんなのビジョンを枝分かれし、もっともっと広げられるように、と進めている集団だと思っています。

(C)2021 Sony Pictures Entertainment (Japan) Inc. All rights reserved.
林田:僕は、国際担当と言っても過言ではないくらい BABEL LABELのこれからの国際的発展を背負ってる気持ちで、企画を考えているし、監督や脚本家をやっていくつもりです! 『青春 18×2 君へと続く道』もそうですが、アジアだけではなく、他の地域の方々にも届くようにユニバーサルな作品を求められています。僕もそれが作りたい。世界のいろんな人が観ても面白いって思えるんだけど、しっかりパーソナルであってほしい。自分のばあちゃんが観ても面白い、自分の家族が観ても面白い、という作品を作っていけたらな、と思っています。

1994年生まれ、神奈川県出身。
日本語、英語、広東語、北京語を話す。高校を卒業してすぐ渡米。サンフランシスコ州立大学映画学部フィクション専攻を2018年に卒業後、現地のフォトラボで暗室マンとして働きながら、フリーランス映像監督として活動。短篇『Take The Next Bus, Honey』は複数のインディーズ映画祭で評価され、歴史あるRoxie Theaterで上映された。2020年に帰国後、BABEL LABELに所属。
<映画>
短編映画『タイクーン』(『DIVOC-12』内)監督
長編映画『青春18x2 君へと続く道』共同脚本・監督補
矢武兄輔
まちのえいが屋さん/キャプテン・ポップコーン
20歳の1月。札幌映画サークルに入会直後、さぬき映画祭への参加で『踊る大捜査線』の製作陣や深田晃司監督と出逢い、映画界の現実や地方から発信するエンタメの可能性を知る。そこから「映画館へ行く人を増やす」という目標を持ち、カネゴンを呼んでみたり、学生向け媒体をつくったり、休学して東京国際映画祭で勤務、映画館へ就職→退職→「矢武企画」を起業からの今は某局でラジオDJ。 すべては『踊る』の完結が始まりだった。そして、踊るプロジェクト再始動と共に…! ということで、皆さんにとって映画がもっと近くなれますように。